「茶師」という職人の世界。調理師から転職した高橋嘉伸さん
和食料理から製茶の道へ“味の職人”として花ひらく
父の背中をみて同じ料理の道を志す
高校までは野球に没頭していました。3年生で野球を卒業して、進路をどうしようと考えたとき、地元の結婚式場で料理長をしている父を幼い頃から誇りに思っていたので「父のようになりたい」という気持ちから、東海調理製菓専門学校の調理師科へ進学しました。
専門学校では調理の基本を学び、海外研修でフランスにも行きました。星付き有名レストランで食べた和食が、日本の味付けの基準と異なっていたことで、日本人と海外の人との舌の感覚の違いに身をもって感じた事が印象に残っています。卒業後は地元のホテルに就職し、和食料理人として出発しました。板場の先輩方からは、料理を作るうえでの「段取り」の大切さを教わりました。それは現在の仕事にも通じることで、自分自身の糧になっているほど今も大事にしています。
予定外の転職で製茶の世界へ飛び込む
ところが、2008年のリーマンショックによる不景気で客足が減り、後にホテルが他企業に買収されて退職を余儀なくされました。和食料理は好きな仕事でしたし、勤務先は大企業の系列ホテルだったので長く勤めたかったのですが、生活が成り立たなければ将来設計もできません。転職先を探していたとき、「製茶製造」という仕事の求人を見つけました。それが現在の会社です。はじめは仕事内容もわかりませんでしたが、安定して長く働けそうな点や、味の職人になりたいという希望も継続できることから、新たに製茶製造の世界へ足を踏み入れる決心を固めました。
入社1年目は、仕入れた荒茶(原料の茶葉)の重い段ボールを冷凍庫に運んで一日が終わりました。高校の野球部や、和食料理でも新人時代を経験しているので、体力を使う仕事の毎日でもあまり苦にはならなかったです。時々火入れの手伝いをしながら「いつか自分も」と、心の中で思っていました。
奥の深い職人技・茶師という仕事につく
2年目に社長から「火入れを覚えるか」と声がかかり、「茶師」の仕事をゼロから学びました。まず火入れ機械の操作を教わり、次にお茶に関する勉強を繰り返します。茶師として一人前になるには、自分の味覚と感性を研ぎ澄まして原料の選別や火入れを行い、異なる産地の茶葉をブレンドするなど工夫を凝らして「味」をつくり、社長にみてもらうという作業を重ねていきます。お茶のプロでもある社長が表現する「感想」を自分の五感に叩き込みながら、味作りを修正していく作業が延々と続きます。めったに誉めない社長から初めて「これ旨いな」という声を聞くまで、3年の月日がかかりました。
前と同じことをやっていては上を目指せない
日本一の緑茶の産地・静岡には、品質のさらなる向上のため、同じ原料の荒茶を各人の感性と技術で美味しい仕上げ茶(製茶)に作り上げていく茶師の競技会があり、私は2年目から出場しています。初出場で第5位になり、周囲からも驚かれましたが、翌年はさらに上位を目指して新しい試みに挑んだものの、選から外れてしまいました。試行錯誤を重ね、「前と同じことをやっていてはそれより上にはなれない」という思いからのチャレンジでしたが、このときの悔しさが自分をひとつ成長させてくれたのかも知れません。その後は最高金賞を3回、その中の1回で第1位に選ばれる事ができました。
先達の経験や消費者の声が味作りのヒントに
お茶のプロに評価されるのも有難いことですが、私の作ったお茶を飲んだ全国のお客様から「美味しかった」と感想のお手紙をいただくのが何よりもうれしく、日々の励みになっています。時には苦言もありますが「どういう点が気に入らなかったのだろう」と冷静に受け止め、味作りの参考にしています。
茶葉は植物ですので毎年品質が変わります。今年は春先の低温で一番茶の出荷が遅れ、新茶の時期は特に難しい味作りになりました。経験豊かな茶農家の方々に教えを乞い、毎年新たな気持ちで荒茶と向き合って製品に仕上げています。
「本当の日本茶の味」を世界中に届けたい
抹茶が多くの国で受け入れられるようになりましたが、上質な日本茶はコストの問題でまだ世界に出回っていません。これからは海外でも手軽に美味しい日本茶を楽しんでもらえるように、茶師としてより良い製品づくりを続けて、国内や世界へ発信していかなければならないと考えています。
丸山製茶株式会社
茶師
高橋 嘉伸さん
1988年静岡生まれ。磐田東高等学校を卒業後、東海調理製菓専門学校調理師科へ進学。卒業後は浜松名鉄ホテルに入社し日本料理を担当。22歳で丸山製茶へ転職し製茶製造の道へ。原料の荒茶(蒸して乾燥させた茶葉)を選別・焙煎・ブレンドして味を調え仕上げる「茶師」(火入れ師)となる。2015年第9回同一荒茶仕上競技会で最高金賞(第1位)はじめ最高金賞、入賞を複数回受賞。経験が重んじられる茶師の世界において、厳しいお茶のプロたちにも認められる活躍を続けている。